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2011年09月09日

争いのメンタリティー

八重山の教科書問題がひとまず決着をみた。

ただ、これから9月議会なので石垣市教育長の責任問題と市長の任命責任についても様々な追及が行われるだろう。

確かに今回の市教育長のやり方には大きな問題があった。

したがって、これをきちんと総括しこれからの八重山の教育に活かすことは重要だが、総括の方法を間違ってはならない。

今回の決着の構図は、私も含めてそうだが育鵬社の教科書に反対だったものは正しく、市教育長も含め育鵬社の教科書に賛成だったものが間違っていた、とも言える。

その意味で反対派は賛成派を責める材料に事欠かない。

正しい、というのは良いことだが、争いの場面でその正しさの使い方を間違えると大きな危険を生むことになる。

これから行われる総括の場面が議論・論争だとするとこれもひとつの争いだ…正しい側がその正当性を過信するあまり必要以上に間違っていた側をやり込めてはならない。

つまりやり過ぎは禁物だということだ。

罪を憎んで人を憎まず…

今回市教育長がやったことを冷静に検証総括しその上で責任の所在が明らかであれば、過不足なき適度な責任の取り方について考える必要があるが、例えばその責任を認めなかったとしてもその人を非難する必要はない。

人間関係もそうだが、ひとたび言い争いになると言い過ぎてしまったりする…やり過ぎこそが争いのメンタリティーであり、それがエスカレートすると戦争になる。

だからこそ、育鵬社の教科書に反対した平和を希求する多くの皆さんには、やり過ぎには注意してほしいよつば

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タグ :教科書問題

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Posted by meza6 at 18:29│Comments(0)その他
 
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