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2012年07月31日

相馬野馬追

やえやま東北人会のブログ をたまに訪れる僕は、東日本大震災以後の東北の状況、復興に向けた様々な取り組みなどについてそこから知り得ている部分が大きい…

で、猪苗代湖ズの曲 『 I love you & I need you ふくしま』 の歌詞にも出てくる、去年は震災と原発事故の影響で縮小開催を余儀なくされた相馬野馬追については、少しは関心を持ってそれに関わるニュースについてはモニターしてきた…

そんなこともあって、先月宮古島出張のとき 幸ちゃんの店 『郷家』 でたまたま相馬から宮古島トライアスロンに参加していたお客さんとカウンターで隣になったとき、野馬追になり…よく知ってますね!とほめられたりもした(#^.^#)

で、その相馬野馬追いが2年ぶりの本格開催が28.29.30日と開催されテレビのニュースでもそのことが報じられていた…

で、今日久しぶりに やえやま東北人会のブログ に行くと相馬野馬追いに関する河北新聞の記事が紹介されていて、その記事のグットきたので本元の河北新聞をそのまま転載したいと思う。

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「あいつと野馬追駆ける」津波で長男犠牲、遺影胸に出陣

国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」のハイライト、神旗争奪戦が2年ぶりに行われた29日、福島県南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地には、25年ぶりに馬場を駆ける遠藤俊美さん(66)=南相馬市原町区=の姿があった。東日本大震災の津波で長男芳恭さん=当時(40)=を亡くし、「供養のために」と出場を決めた。「あいつと2人の野馬追だ」。遺影を胸に馬にまたがった。

「今、野馬追通だぞ」。行列の中で俊美さんは芳恭さんの写真に語りかけた。炎天下、塩をなめての行軍だ。
衰えた体にむち打っての出場。昔のように神旗は取れなかったが、芳恭さんになったつもりで挑みかかった。
遠藤家では、俊美さんの祖父が中ノ郷(南相馬原町区)の郷大将を務めた。芳恭さんも4歳から出場し、相馬農高では馬術部に所属した。専門学校卒業後は就職で地元を離れたが、30歳を過ぎて地元に戻った。
芳恭さんは、俊美さんに代って実家の農業を継ぎ、俊美さんが体調を崩して出場をやめていた野馬追にも、再び出るようになった。
「水門、閉めてくる」。東日本大震災の地震直後、芳恭さんは母美恵(はるえ)さん(64)にそう言い残し、車で海岸にある用水路の水門に向かい、津波にのまれた。
「4人兄弟の長男で責任感が強かった」と俊美さん。原発事故で家族は約1カ月間、宮城県丸森町や宇都宮市に避難を余儀なくされた。原町区に戻り、仮住まいを始め、やっと芳恭さんを捜せるようになった。遺体が見つかったのは震災から42日目だった。
俊美さん一家は今春から自宅で暮らしている。芳恭さんを失った悲しみは消えない。地元の復興も途上。それでも出場が一つの区切りになった。
「何とかやりきり、あいつとの約束を果たせた。くよくよせず前を向いていきたい」。武者のそれだった俊美さんの目が少し優しく光った。

相馬野馬追

河北新聞 on 2012年07月30日月曜日 meza6



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Posted by meza6 at 15:01│Comments(0)思うこと
 
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